公共とか普遍とか常識とか
最近は何かを批判するような時によく公共性や常識というものを武器にしている人が多い。
そもそも公共の概念を考えてみれば、私たちが人間であるという事から何かもっとヴァーチャルな妄想的な物なのだなと察せずにはいられない。
公的な資金を使ってやるのだからとか、公共の場でやるのだからと言う前にそもそも公共という物を理解出来ているのか確かめる必要があるのではないか。
公共とは一言で言えば何か間にある空間への歩み寄りであり、一方的な意見はルールに反する。
私たちはその私的空間と私的空間の間にある空間を「妄想」し、そこで論戦のゲームをするのが好ましい。
つまり、何もかも無にはならないように、どの意見もどちらかが完全に正しいということはあり得ないのである。